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浮世は憂き世か浮かれ世か
あるがままの世を受け入れ 強かに生きた江戸の町衆が創りあげた文化 浮世絵の世界

ようこそ 天竺老人の浮世絵サイトへ

このサイトに掲載した浮世絵・絵本等は全て
国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)(著作権保護期間満了)をもとに編集したものです
色合い、色彩、形状、サイズ等を任意に加工・補正・修正していますので元画とは異なっている場合があります
美術的な意味では本物には遠く及びませんが 浮世絵の入門書的な感覚でご覧下さい


 浮世絵師
戯作者
 テーマ別浮世絵・絵草子
 版本目録




テーマ別浮世絵・絵草子

芝居・歌舞妓
 浮世絵の主要テーマは役者絵、名所絵(風景画)、美人画(吉原)と言われています。中でも役者絵・芝居絵は江戸町民の最大娯楽の一つである芝居・歌舞妓の興行と密接にかかわり、最先端の流行の発信媒体として数多く制作されています。このサイトで江戸時代の芝居模様を感じていただければ幸いです。   
名所絵
 浮世絵で名所絵(風景画)といえば北斎の富嶽三十六景、広重の東海道五十三次をまず最初に思い浮かべることでしょう。残念ながら国立国会図書館にはこれら浮世絵の所蔵品は少なく、美品も多くありません。それでも江戸時代の名所を訪ね歩いた気分に浸ることは出来るのではと思います。
名所図会
 名所図会(ずえ)は現代風に言えば観光ガイドブック。安永9年(1780)京都の書肆から出版された「都名所図会」が好評であったことから、以後各地の名所図会が出版される。記述が詳細で挿絵の数も多いことから浮世絵師や戯作者の種本として利用されることも多かったという。江戸名所図会は7巻、20冊に及ぶ大作。 
江戸の祭・風俗
 江戸の三大祭りと言われる神田祭、山王祭、深川祭は現在まで続いている伝統行事。江戸っ子気質は昔も今も変わらぬようだ。
 火事と喧嘩は江戸の華という言葉もあります。火消人足の姿を描いた浮世絵も掲載しています。その他に江戸の風俗・年中行事を描いた浮世絵、絵草紙も集めてみました。 

吉原
 日本橋葺屋町に遊郭が設置されたのは元和3年(1617)のこと。明暦の大火(1657)のあと浅草裏の日本堤に移転する。現在の道徳観からすれば決して許されることではないが、当時としては一つの文化として繁栄する。遊女はしばしば浮世絵美人画のモデルとして登場し、吉原を題材にした戯作も数多い    
美人画
  浮世絵の美人画は様式化されたもので真実を描いたものではなく個性もあまり感じられないと言われることが多い。それでも江戸時代を通してみれば女性の描き方に変化も見られ、個々の絵師の技量の差だけではない違いも見られる。 様々な制約を受けざるを得ない絵師の、描かれた時代背景を考察するのも面白いのでは。
 武者絵・合戦記
 江戸の人口はおおよそ100万人。そのうち半数は武士。浮世絵は江戸町民の文化ともいわれるが、経済的には武士の消費に支えられている部分も多い。また浮世絵師や絵草子の戯作者には武士出身者が多数いる。必然的に武将や合戦記を描いた浮世絵、絵草子は数多い。  
職人絵
 浮世絵の三大テーマである芝居・歌舞伎、名所絵(風景画)、美人画(吉原)は結局のところ現実逃避のあこがれが主題。このページでは士農工商のうち「工・商」の姿を描いた浮世絵、絵草子を集めてみました。伝統的な匠の技は現在まで脈々と受け継がれています。  

相撲絵
 神事であり、武芸の一つであった相撲は江戸時代になって職業力士による興行として確立する。歌舞妓と同様江戸の町衆の娯楽として大きな人気を得ていた。浮世絵に描かれた力士像から当時の様子が窺える。現在行われている大相撲は江戸時代にほぼ様式されたものを受け継いでいる。 
座敷芸
 日本伝統の話芸である落語は江戸時代になって職業とする噺家の出現によって基盤が出来上がる。当初は常設の小屋ではなく、料理茶屋や風呂屋の座敷に呼ばれて座敷芸の形で行われた。軽口噺、座敷噺、落噺などを題材とした出版物も数多く刊行される。娯楽の乏しい時代に手軽な楽しみとして人気を集めた。  
 化物・妖怪
 江戸の夜は暗い。たとえ提灯や行燈の明かりがあっても、それ自体を不気味に感じることだってある。迷信、言い伝えを素朴に信じる環境であればなおさら化物、妖怪を恐れる。一方で怖いもの見たさの好奇心は昔も今も変わらない。浮世絵や戯作に化物・妖怪を題材としたものは多数ある。書き手にとっても安直な材料なのだろう 
  横浜絵
 安政5年(1858)に米国など五か国と締結した修好通商条約に基づき、横浜は安政6年(1859)に開港された。僅かな期間に急速に発展した横浜の姿は、当時の主要な情報媒体である浮世絵(錦絵)に描かれて日本中の人々に伝わった。世界に向って歩み始めた当時の活気が伝わってくる。

源氏物語
 源氏物語は平安時代に書かれた日本最初の長編小説。江戸時代になり多くの版本が出版されて、それまでは一部の人の読物であったものがより多くの人々に読まれる。源氏物語を題材にした浮世絵も数多く出版されるが、その大半は柳亭種彦の書いた「偽紫田舎源氏」をベースにしたもので、平安時代の装束のものは少ない。   
義経記
 義経に関する文献は中世から現在に至るまで数多く出版されている。誰でも牛若丸、義経の伝記小説を読んだことがあると思う。このページでは江戸初期に出版された絵入本や浮世絵を集めてみました。
日本人の心情をしばしば「判官びいき」として表現するほど義経は日本人の心の中に浸透している。 
 曽我物語
 建久4年(1193)源頼朝が催した富士の巻狩りで実際に起きた敵討を題材とした物語。江戸時代になり能や人形浄瑠璃、歌舞妓で上演され、特に初代団十郎が演じた「寿曽我対面」が大当たりして、歌舞伎の題材として欠かせないものとなった。曽我物は浮世絵や戯作にも数多く登場する。  
忠臣蔵
 赤穂浪士による吉良邸討ち入りは元禄15年(1702)のことだが、宝永3年(1706)近松門左衛門が人形浄瑠璃の題材として取り上げている。寛延元年(1748)には浄瑠璃や歌舞妓で「仮名手本忠臣蔵」が上演されて大好評を得る。浮世絵、戯作の題材としても数多く取り上げられている。 

和歌・狂歌絵本
 古より日本では歌を詠むことがごく自然な形で行われていた。万葉集には公家階層のみならず一般人の歌も数多く収録されている。狂歌もまた平安時代の落書を源として江戸時代中期には武士階層、町人階層ともに巻き込んで大きく発展する。和歌も狂歌も浮世絵、絵草子の添え書き、題材として数多く出版されている。
花鳥画
 このサイトで扱う浮世絵は肉筆画ではなく印刷物(版画)が中心ですが、花鳥画には肉筆で描かれたものも多い。元々花鳥画は狩野派など日本画の伝統的な主題であり、浮世絵師もその影響を受けて写実的な絵を多く描いています。逆に伝統的な日本画家による版画による花鳥画の出版もある。
 鳥羽絵
  江戸中期、宝永年間(1704~)頃から大阪で流行した略画体の戯画を鳥羽絵と称している。語源は鳥獣戯画を描いた鳥羽僧正に由来する。
 鳥羽絵の特徴は手足が長く、目は黒丸か一文字。大きな口で動作は誇張して描かれている。江戸の浮世絵師もこれを真似て鳥羽絵風の戯画を描いている。   
 
奈良絵本
 浮世絵の範疇ではないが、室町時代から江戸時代初期にお伽話などを題材として作られた絵入彩色写本(冊子、巻物)を奈良絵本と称している。
胡粉、朱、緑青、金銀箔などを用いて着色した華麗なもの。墨絵や手彩色であった浮世絵が多色刷りの錦絵として進化する切っ掛けの一つと推測される。   

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浮世絵師

 黎明期・初期の浮世絵師
菱川師宣
英一蝶
宮川長春
奥村政信
西村重長
石川豊信
鳥山石燕
鈴木春信
一筆斎文調
礒田湖龍斎
富川房信
近藤清春
 
 上方の浮世絵師
吉田半兵衛
蒔絵師源三郎
西川祐信
大森善清
長谷川光信
松尾耳鳥斎
 
 
 鳥居派の浮世絵師
鳥居清信
鳥居清倍
鳥居清満
鳥居清経
鳥居清長
鳥居清峯
 
 
 勝川派の浮世絵師
勝川春章
勝川春好
勝川春英
勝川春常
勝川春童
勝川春亭
勝川春扇
 
 北尾派の浮世絵師
北尾重政
北尾政美
北尾政演
 北尾美丸
 
 
 
 
 歌川派の浮世絵師
歌川豊春
歌川豊国
歌川豊広
歌川国貞
 (三代目豊国)
歌川国丸
歌川国直
歌川国安
歌川国芳
歌川広重 
 歌川豊重 ・二代豊国
歌川国政
歌川国虎
歌川国満
歌川国信
 二代目歌川国貞
歌川貞繁
歌川貞房
歌川貞秀
歌川貞景
歌川貞虎
歌川国輝
歌川安秀
歌川芳虎
 
 
 
 喜多川派の浮世絵師
喜多川歌麿
喜多川月麿
喜多川行麿
喜多川式麿
 
 
 
 
 菊川派の浮世絵師
菊川英山
渓斎英泉
春川英笑
貞斎泉晁
 
 
 
 
 葛飾派の浮世絵師
葛飾北斎
柳川重信
蹄斎北馬
魚屋北溪
 
 
 
 
 無流派・その他の浮世絵師
富川房信
恋川春町
古阿三蝶
栄松斎長喜
十返舎一九
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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戯作者

仮名・浮世草子の作者
浅井了意
井原西鶴
石川流宣
西沢一風
月尋堂
江島其磧
永井堂亀友
 
黒本・青本の作者
 観水堂丈阿
 柳川桂子
富川房信
 
 
 
 
 
黄表紙・合巻の作者
 恋川春町
 朋誠堂喜三二
 伊庭可笑
 南陀伽紫蘭
 山東京伝
 市場通笑
 芝全交
 岸田杜芳
 南杣笑楚満人
 森島中良
 唐来参和
 山東鶏告
 恋川行町
 七珍万宝
 古阿三蝶
 桜川慈悲成
 樹下石上
 十返舎一九
 曲亭馬琴
 式亭三馬
 三橋喜三二
 感和亭鬼武
 竹塚東子
 山東京山
 柳亭種彦
 関亭伝笑
 東里山人
 高麗井市二三
 東西庵南北
 振鷺亭
 古今亭三鳥
 橋本徳瓶
 墨川亭雪麿
 五柳亭徳升
 月光亭笑寿
 笠亭仙果
 十字亭三九
 墨春亭梅麿
 式亭小三馬
 三亭春馬
 美図垣笑顔
 柳下亭種員
 万亭応賀
 楽亭西馬
 二代目為永春水
 柳水亭種清
 仮名垣(鈍亭)魯文
 
読本・人情本の作者
 曲亭馬琴
 為永春水
 松亭金水
 
 
 
 
 
 浄瑠璃本、芝居本の作者・役者
 近松門左衛門
 烏亭焉馬
 鶴屋南北
 市川三升
 尾上梅幸
 林家正蔵
 
 
川柳・狂歌の作者
 太田南畝
 紀定丸
 鹿都部真顔
 宿屋飯盛
 蔦唐丸
 緑亭川柳
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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版本 目録

 室町物語
 室町時代から江戸時代初期にかけて数多くの平易で散文体の読物が写本で流通していたが、これらが江戸時代になり木版技術が確立して草紙として出版される。 
 御伽草子(渋川版)
 寛文年間(1661~1672)に大阪の書肆・渋川清右衛門が出版した御伽草子のシリーズ、横本で23編。

 仮名草子
 江戸初期から浮世草子の時代までの約80年間に著作、出版された草子。仮名文字を多用し、漢字には振り仮名をつけた。挿絵入りの本がほとんど。 
 浮世草子
 天和2年(1682)に出版された西鶴の好色一代男を始めとして、主として上方で約100年にわたって出版された草子。内容は時代とともに変化する。
 八文字屋本
 元禄時代(1688~)から明和時代(~1771)頃の約70年間に京都の書肆・八文字屋およびその専属作者江島其磧が出版した浮世草子、役者評判記など。 

 赤本
 延宝(1673~)の頃から江戸でも子供向けの絵本が出版されるようになる。表紙は赤色で赤本と呼ばれた。題材は民話やお伽話が中心で一冊5丁(10ページ)の作品が多い。
 黒本
 赤本の内容が敵討や武勇談、恋物語に広がり、赤い表紙では内容とそぐわなくなり幼児向けとは切り離して黒い表紙の草子が刊行される。2、3冊物が中心となる。
青本
 内容的には黒本と大差ないものの表紙を青色(実際には萌黄色)とした大人向けの草紙が出版される。黒本・青本共に絵が中心の冊子だが次第に文芸的な創意工夫も現れる。
黄表紙
 黒本、青本の内容がより大人向けに進化。安永4年(1775)に出版された恋川春町の「金々先生栄花の夢」が最初とされる。表紙が黄色であることから黄表紙といった。  
合巻
 黄表紙の内容が複雑となり一編で6冊以上を要する草紙も出現。これを合冊(巻)して出版するようになった。一般的には文化4年(1807)以降の出版を合巻と呼称する。 


咄本
 天和時代(1681~1683)頃から職業的な咄家が出現したこともあり、江戸時代を通じて小話や笑話を集めた草紙が数多く出版される。  
  読本
 文章中心の読み物であるが寛政の改革(1787~1793)以降は口絵や挿絵が重要視されて出版された。曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」などが代表作品。
  洒落本
 文学史的な流れでは上方の浮世草子を継ぐ遊里文学とされる。洒落本が江戸に定着したのは明和7年(1770)の「遊子方言」からという。 
 滑稽本
 洒落本の遊里という特殊地域と通人意識から抜け出し俗事の可笑しさを主題とする。十返舎一九の「浮世道中膝栗毛」、式亭三馬の「浮世風呂」などが代表作とされる。  
人情本
 文政2年(1819)為永春水の「明烏後正夢」が人情本の最初とされるが、同じく春水の天保3年(1832)「春色梅児誉美」の出版で人情本としての地位が定着する。   

 絵入浄瑠璃本
 寛永時代(1624~)から享保時代(~1735)の約100年間に浄瑠璃の正本として出版された絵入浄瑠璃本。細字の独特の書体から「しらみ本」とも呼ばれた。 
 絵入狂言本
 歌舞妓の絵入筋書本として元禄年間(1688~)から享保年間(~1735)にかけて出版される。 
幸若舞
 幸若舞の起源については諸説あるようですが、室町時代から江戸時代にかけて流行した。演目の一つ「敦盛」は織田信長が桶狭間へ出陣する際に自ら舞ったという伝承がある。

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本サイトに掲載した浮世絵について  1 
 本サイトに掲載した浮世絵および絵本類は全て著作権保護期間が満了してWebで公開されている国立国会図書館のデジタル化資料を基に編集したものです。掲載にあたってサイズ、色彩、色調等を修正・加工していますので元画とは異なっている場合があります。もとより浮世絵原画をWebサイト上に再現しようと意図したものではありませんので、美術的な意味では不完全なものです。
 
本サイトの開設は浮世絵の年表的なものを作ってみようと始めたものですが、国立国会図書館のデジタル化資料だけでは不足であり、その意図が達成できたとは言い難い結果となっています。それになにより当方の浮世絵の知識はにわか勉強程度のものでしかなく、そもそも年表を作ろうと思い立つことが無謀であり恐れ多いことでもありました。
 そんなわけで今なお本サイトは修正・加筆中です。おそらく永久に完成しないのではと思いますが、それでも資料的に希少価値のある作品もいくつか掲載しています。浮世絵に多少なりとも興味がありましたら、どうぞご自由にご覧下さい。
 なお、本サイトの説明、解説文には通説とは異なるサイト運営者の無知を承知の独自解釈もありますので御承知願います。

本サイトに掲載した浮世絵について 2 
 浮世絵を語るとき”浮世絵とは何か”と、そもそも論的な話を耳にすることが多い。浮世絵が”浮世”を描いたものであるなら、その作者は狩野派であろうが琳派であろうが、あるいは肉筆画であろうが版画であろうが、それで区別をする必要はないかもしれない。しかし、いわゆる浮世絵は一般庶民が手軽に手にすることができる絵画であることが前提であるなら浮世絵の範囲はおのずと決まってくる。安価に手軽に手にすることを可能とするには、浮世絵が大量に制作できる印刷物(版画)であることが必然的な条件となる。
 また、浮世絵は一枚絵の摺りもの、とその範囲を狭めて考える人もいる。確かに美術的、芸術的な視点からは、絵草紙などの挿絵より一枚物の摺物のほうが優れていることが多い。浮世を表現する力も挿絵より一枚物の絵には凝縮された鋭さがある。また、浮世絵が浮世絵として一般に広く受け入れられたのも一枚物の摺りものの人気によるところは大きい。とはいえ、絵草紙などの挿絵こそ浮世絵の出発点、原点であり、それは一枚物の浮世絵が評価を得た以降でも決して劣らぬ浮世絵としての魅力が存在すと考えます。このサイトでは一枚物の浮世絵に限らずこれらの挿絵も一枚物の浮世絵と同列に扱っています。またサイト掲載作品の基とした国会図書館の収蔵品の性格上、絵草紙などの版本が圧倒的に多いこともあり本サイトの掲載作品は版本が大半を占めています。
 なお明和期(1764~)以降に多色刷りの浮世絵が制作され、これらは錦の織物のような豪華なものとして「錦絵」と称されて流通するようになり、現在においても浮世絵という表現でなく錦絵と称されることが多い。しかし、このサイトでは特別の場合を除きこれら錦絵を含めてすべて浮世絵と表現しています。 

本サイトに掲載した浮世絵について 3 
 浮世絵=春画であると間違った(あるいは正しい)認識をお持ちの方もいらっしゃるのではと思います。江戸の土産に浮世絵、なかでも春画が喜ばれた時代もあり、浮世絵と言えば春画のことと理解されている地方もある様です。浮世絵が広く市民権を得た現在では日本人より外国人にその傾向があるのかもしれません。浮世絵が海外で評判を得た理由の一つに歌麿に代表される素晴らしい春画の存在があります。Utamaroはしばしば浮世絵、そして春画と同意語で用いられることもあります。大英博物館の浮世絵コレクションにも春画はあるようです。しかし残念ながら(当然か?)国立国会図書館のデジタル資料には春画は存在しません。従って本サイトも春画はありませんので安心してご覧ください。なお私は決して浮世絵春画を否定する者ではありません。浮世絵春画はその時代の必然性から生まれたものであり、そして何より江戸に暮らす人々のバイタリティーを感じます。


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